ケジメをつけて昇華させる

このブログに書くことで、昇華させようと思い綴ります。

 

最近、とても傷つくことがありました。

実は結構前から、「あら?私の構図と似てるな」「このやり方って…」など

なんとなくそんな気配は感じつつ、それで本人が何かを学んでいるならと

目をつぶっていることがありました。

 

影響を受けることは当たり前のことで日常茶飯事です。

しかし、「影響と真似」「模写と模倣」」は明らかに違います。

 

「模倣(真似)」という行為は、その作家の個性を無視し、

自分さえ、特定の誰かさえ良ければというエゴの行為だからです。

そんな行為は自分の価値を下げることになります。

ましては、自分独自の個性を表現しようと日々研究をしていたら、

それが如何に恥ずかしい行為かということに気付くでしょう。

 

作品は口程に物を言うので、分かる人には分かります。

模倣や真似は結局、自分から絞り出したものではなく、

その模倣した人の「見て見て!」のエゴが強く入ってしまって、

オリジナル作品の意図とはかけ離れてしまうのです。

 

「模写」という行為は、きっとその作品の真意まで見抜こうとする研究のことでしょう。

その真意へ少しでも近づけば、自分の個性へと落とし込めるからです。

実は、自分の個性を見つける事は、それが近道ではないかと思います。

その模写の研究結果が、形を変え、その作家独自の「影響」と言う名の

オリジナルスパイスになるのだと思います。

 

なので「模写と模倣」の意味を間違えてはいけません。

オリンピックのエンブレム問題と同じこと。

 

私も憧れてる画家や絵描き、イラストレーターは沢山います。もう切りがないくらい。

彼らの絵を見ては、ため息をつく日々もあります。

どうやったらそんな風に出来るのかと試してみたり。

しかし、私淑したとしても模倣しよとは全く思いません。

それは記した通り、自分の個性も相手の尊厳も殺す行為だから。

 

今回の件で私の芯にあるもの、自分の弱点にも気付けました。

あとはその課題に取り組み乗り越えれば良いだけ。

私の持論としては、誰でもクリエイター。

でも、それは同時に唯一無二の個性で勝負するということ。

もし、クリエイターであるなら、その個性を大切にしようと思います。

それは、自分の個性も相手の個性も同じことなのです。

 

最後に、相談させてもらった方々ありがとうございました!

心強い方々が周りにいてくれることに感謝です。

 

 

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